小学生のときから体育の教師を目指していた私は、市立船橋高校を卒業後、日体大に進学。大学卒業と同時に肢体不自由児(身体の不自由な)の学ぶ桜が丘養護学校に教師として赴任させていただきました。小学部・中学部・高等部・とあるその学校では、年間に1~2名の友達が亡くなるという現実がありました。朝登校してきて下校までに1回でも笑顔を引き出すことができないものか。ビデオカメラをまわし、どんな活動で反応したり、どんな物なら追視したりしてくれるのか。日々そのようなことに明け暮れていたと思います。生まれた時から先天的に障害を持っているお子さんもいれば、事故や病気などで、後天的に障害を持った子供さんもたくさんいました。筋ジストロフィー症の子供さんは、筋肉が衰えていく病気で、最後は自力で肺を動かすことができなくなり、20歳前後で亡くなってしまう病気のお子さんもいました。中学1年生まで健常児で、脳硬塞で倒れ、片マヒ(片側の手足が自由に動かせない)になった生徒もいました。教員になって6年目から船橋中の特殊学級に、11年目から御滝中の特殊学級で働かせてもらっています。体の障害とは違い、知的に障害を持っている子供たちと生活しています。体は比較的丈夫ですが、考えることに少し時間がかかる子供たちです。ひらがなを読めない生徒から、小学校4年生の問題が解ける生徒まで様々です。生徒たちから学ぶことがたくさんあります。少なくとも私たち健常といわれる人たちよりも、遥かに純粋であることは間違いありません。時間をかけて繰り返し行うことで、仕事を覚え就職した教え子もいます。体育の教師を目指していた人間が、今そんな仕事に携わっています。3日前の1月26日(日)。柏レイソルのグランドでヴィヴァイオ対イーグルスの公式戦が始まる前、一番初めに勤めていた桜が丘養護学校時代の同僚から電話が入りました。「T君インフルエンザで亡くなったって。今日、通夜だって。」「えっ。」T君は、私が就職して2年目に担任をさせてもらった生徒でした。難しい顔から、笑顔に変わる時の表情の変化は本当に印象深かった。食事も自力では難しく、大人が介助をして食べていました。プラスチックのスプーンを口の中に入れてあげると、ガチンと噛んで痛そうな顔をしたことや、車椅子の自力移動が難しかったため、私たち大人が押して移動したこと、プレールームで一緒に遊んだことなど、たくさんのことが思い出されました。通夜の帰り、電話をしてくれた同僚とT君の思い出話をしながら、「1年に1人一緒に活動してきた子供が亡くなるのは耐えられないね。」「年賀状をもらったばかりなのに。」自分も結婚して子供を持つようになり、サッカーを通して他のお子さんと携わらせてもらう中で、改めて感じることがあります。子供が生まれる時に健康で、五体満足で生まれてほしいと願いませんでしたか。成長するにつれ、子供のへの期待が膨らみすぎていませんか。親の夢を子供に置き換えていませんか。子供の人生なのに。忘れてしまっていませんか。赤ちゃんの100人に1人以上は障害を持って生まれてきている現状があります。前述したように、事故や病気で後から障害を持つ人もいます。今健常である私たちも、年をとることにより体が不自由になっていくことも多いと思います。今、目の前にいる子供さんがサッカーを楽しく行っていることに喜びを感じ、それ以上の期待は持たずに、温かい目でサポートしてあげませんか。子供は大いに夢を持ってほしいと思います。保護者は、子供たちが夢の壁の高さや、現実とのギャップに気がついた時に、サポートやフォローをしてあげられる心のゆとりを持ちたいものです。夢を持つのは子供だけで十分だと思うのです。教員生活も13年を終えようとしています。前任の養護学校の教え子をこれまでに十数名亡くしています。お通夜に出るたびに、命の大切さを痛感し、自分の子供が今健常であることに喜びを感じています。それともう一つ、自分の子供が生まれてくる時に誓った、「健康で人に迷惑をかけない子供であれば何も求めないから、健康で生まれてきてほしい。」という自分自身の初心を思い返すのです。 (渡辺)