この春と秋、携帯電話に連絡が入った。「Jリーグキャリアサポートセンターの○○です。私共の活動を理解してほしいことと、お願いがあるので一度会えないか?」という内容だった。キャリアサポートセンターについての詳細は知らなかったが、マスコミなどを通じてその存在は知っていた。「これも勉強だろう。」ということで快諾。JR船橋駅南口で待ち合わせ、近くの喫茶店で話を伺った。大まかに言うと内容は3点。サポートセンターの活動について、解雇されたJリーガーを雇用できないか、現Jリーガーのオフの時期に希望者がいた場合体験受け入れができないかということだった。私共のクラブについての説明もさせていただき、雇用は難しいが希望者がいた場合の体験は可能だという回答をさせていただいた。事務所が今夏にはできていると想定していたので現状よりは良い経験をしていただけるのではと考えてのことだった。千葉県にある町のちんけなクラブチームであってもバスを使って日本全国を飛び回っているため、交流は多い。全国にあるJのジュニアユースチームは勿論、町のクラブチームであっても本当に多くのチームと交流させていただいている。ときに、テレビでしか見たことのない私と同世代の有名Jリーガーが、下部組織のコーチになって名刺の交換をするようなことも多くなってきた。「△△チームの○です。今年からジュニアユースのコーチになりました。全く分からないことだらけなのでいろいろ教えて下さい。」と2年半前に言われたのは私と同じ年の元Jリーガーだった。高校3年生の時に同じ選手権に出て雑誌などでは大々的にカラー写真で掲載されていたことを記憶している。その後プロに行き代表に招集されることもあった。「こちらこそ何もありませんが。」と恐縮したものだった。別時期にお会いした方も本当に有名な方だった。対戦する会場に入った時にすぐに気がついた。「あっ。仲村コーチ。○○○選手はコーチになったんですね。」「本当だ!」すぐに挨拶に伺い話をさせていただいたがこれからコーチで頑張りたいという雰囲気を感じなかった。「仲村コーチ・・・多分数年したらいないですね?」「多分ねー・・・?」私共のジュニアユースチームができて7年が終わろうとしている。チームそれぞれの方針があるだろうが、あるJのチームは7年前にいたスタッフ全てが出向などで地方の出先機関に行くことになり(言葉を柔らかくしています)携わっていないチームもある。年が変わればまた新しくJを引退した選手が出てくる。元有名選手というだけでは数年後にはいなくならなくてはならない現実があるのは事実だ。Jができて数年は年俸が高かった。よく海外の試合の解説に出てくる私の後輩元Jリーガーと2年前に栃木であった時に「僕らは一番良い時期だった。もう働かなくても充分食べていけるんですよ。」という話をしていた。前述した2人の元Jリーガーも一番年俸が高かった良い時期をプロで頑張ってきた選手だ。特別なことがない限り私の後輩同様、コーチをしなくても生きていくことができることだろう。しかし、選手を引退した後コーチの道を選んだ。解雇通知を受けた選手と面接をした時の話をサポートセンターの方から伺った。「解雇されるのでコーチで飯を食っていきたい。月給25~30万円くらい欲しい。」というのがだいたいの要望だそうだ。話してくれた方と聞いている私の2人で笑ってしまった。「甘いですね・・・」「渡辺さん!でも本当に多くがそうなんですよ。サッカーが小さい頃から優れていて、そのままプロになったような選手が多いのです。世の中を全く知らないような選手が多い。だから解雇される前の選手の時期から体験研修をさせたいのです。」良く分かる話だった。若いコーチには感謝をしている。月給と言えるものではないかもしれないが、月ひと桁というのが現状だからだ。名ばかりの代表と言われるかもしれないが私も教員の時に比べれば4分の1以下で生きている。クラブ経営を考えれば、人を多く集め少ない指導者でまわしていくことが必要だ。しかし、長くは持たない。これから飯を食っていくために元Jリーガーを含めた多くのクラブができ選択肢が多くなること。また、長期で考えると今雇用しているコーチの倍のコーチを雇える体力がない限りそのクラブは衰退していくと考えている。高給を取る年老いたコーチの集団ではそのチームの活性化は図られないからである。若いバイトのコーチでまわしていても多くの選択肢がない今だからであって、数年後は分からない。子供の数も激減していくのである。若いコーチは、朝からグランドを整備したり環境を整えたりしてくれている。上を見て羨ましがるだけでなく、下を見て要領だけを覚えるのではなく若いうちから真剣に生き方を考えて欲しい。元代表Jリーガーコーチ2人の姿勢もまた参考になるものである。 (渡辺)