よく掲示板などに「セレクションをして集めた」等というような書き込みをする方がいる。セレクションをして集めて、「勝つことのみを追求している」チーム もある。その場のゲームでの勝ち方を教わり、結果が出ると喜ぶ。スタッフは、勝ち誇った感情を抑えて挨拶に来る。「どうだ、見たか?」とでも心の奥底で 思っているのだろう。一緒にいる本田と話をする。「悲しいな、勝ち方ばっかり教えやがって」。以前、中瀬古先生や岩谷さんに言われた言葉だ。 「面白いゲームでした」、相手関係者に言われた言葉だ。「大人が勝ち方を教えて、大人の思い通りになった」、それが面白いのだろう。確かに面白いゲー ムだった。それは、こちらのベンチもピッチの選手も少し真剣になってしまい遊べなかったこと。それが面白い。やっぱりまだまだなのだという事が「面白い」 のだ。全く感性が違う。現大学1年生が中1の頃、私共が行き詰った頃から、感性を変えるよう努力している。相手との感性の違いを若い本田と話をした。 気が付かないだろう。勝ったことで満足していては、いつまでも距離が離れていく。私たちの感性が、既に違った世界にいることを気が付いてはもらえないだ ろう。「思い返してみるとベンチが熱くなって、力でねじ伏せてやろうと思ってしまった。悪い。次からは力を抜いてうちのサッカーをやろう」と敗戦後の水曜日 の練習前、選手を集めて謝った。 あるゲームで敗戦をした。夏の厳しい暑さの中で、前半のプレーは選手個々のゲームに対する甘さを露呈した内容だった。「選手個々の将来を考えると このゲームに勝利することのみを追求してはいけない」と考え、ハーフタイムで普段と違う指示を選択した。結果、選手はその壁を乗り越えられず敗戦した。 ゲーム終了の笛が鳴ると、背後から相手チームの保護者の歓声が上がった。一発勝負のトーナメントではない。リーグ戦であり、1ゲーム落としても次にも ゲームの機会がある。相手チームの歓声を背中で感じながら、「こいつらの為に、もっと先のことを考えているんだ」ということは、ベンチにいる人間にしか 分からない。 中3が、県リーグで優勝した。終盤に3敗したことで諦めていたが、結果「棚からぼた餅」だった。全ては選手1人を他チーム送り出しての三井千葉戦だっ た。選手には珍しく「いなくなったから力が落ちたと言われたくない。奴一人がいなくなったからといって、チーム力が落ちることはないことを証明しようぜ。」 と、本音を話した。力のある選手たちを相手に最高のゲーム内容だった。ハートの小さい良い奴が多い。ユース年代に送り出すまで、小さな経験が自信とな り、少しずつハートが大きくなることを期待している。 VIVAIOは、美味しそうな食材を集めているだけだという、意味不明なご批判をいただくこともある。そのような感性では、本質を見抜くことはできない。ど んなに良い食材を集めても、「手をかけ」「愛情を注ぎ」「○○を用意」しなければ、下北山集団に近づくことすらできない。多くの人は、1,000分の1の情報 で「全てを語ろうとする」。選手育成には、脈絡があるのだ。1枚1枚の薄皮を積み重ねて成長していく。ほんの少しだけ表現力のある選手だろうが、運動能 力や判断の悪い選手だろうが、それぞれの個性に応じで成長していく。勿論進度は個々に違うから、「個」を尊重し我慢していかねばならない。メンタル的に 弱い子供が増えている。小さな頃から周囲の大人が作り出す環境に影響されることが多いと感じる。少しきついことを言うと「なえて」しまう。私たち世代の大 人が、「欲しい物を買い与え」、「危ないことはするなと言い」、「義務を果たさず権利を主張する」。「集団であれば公共の場でも大声で話をし」、「お金を払え ば、ごちそうさまひとつ言わない」、「子供に厳しく接することができず」、弱い人間を生み出してしまっていることも多い。 サッカーも世界に目を広げる時代にやっとなりつつある。千葉県でも、ジュニアユース年代から海外に出る選手が出てきている。時代は変わりつつある。 恩師である布先生が母校を離れた際、「個としてボールを持てなければ駄目だ」と語られた。リスクの少ないサッカーを小さい頃からさせていては、そのような 選手は生まれてこない。個としてボールを持てるということは「ドリブル」という意味ではない。「ドリブル」「ドリブル」という表現が多く使われたり、私共のチーム についても「ドリブル」という方がいるが、全く違う。「ドリブル」にばかり目を奪われていると、ユース年代以上で行き詰る選手になっていく。その責任を大人は どう取るのだろうか?本物や何も知らない大人や子供たちを「ドリブル」という言葉で騙すことは簡単だ。しかし、その責任は大きい。私達も変化を決断した1 年後に、本物を見て自分たちの考え違いに気づくことができた。表面的な取り組みは、結果取り返しのつかない年代で、訳の分からない癖を付けてしまう。 上手く出来ようが出来まいが、Bチームのゲームで全てが見えてしまう。相手チームを見て「これ、どうするんだろう?」私がベンチで若手に言っている言葉。 「学校とクラブチームの連携」「日本に新しい形のクラブチーム」、10年以上前に雑誌や新聞を賑わしたVIVAIO船橋の記事である。全国各地に、母校と私共 のクラブのような関係のチームが山ほど誕生している。将来を見た恩師の思惑を受け、片手間ではできなくなり公務員を辞めて地域に生涯を尽くすことにした。 物事には前後の脈絡がある。地域に文化として残す。個人のエゴではなく、次の世代に残す「かりそめ」なのだ。草刈り場だった船橋に、多くの選手が集まる 環境を用意することができるようになった。定員があり、100名を超す選手達に「ごめんなさい」と言っている。できるだけ多くのニーズに応えることができるよう 更なる環境を考えていかねばならない。先見の明のあった恩師に感謝しつつ、次代に受け継げるよう力を注いでいきたいと思う。 (渡辺)